ミステリー三大奇書読んだ感想と読む順番について。
日本ミステリー三大奇書
1935年 | ドグラ・マグラ | 夢野久作 |
1935年 | 黒死館殺人事件 | 小栗虫太郎 |
1964年 | 虚無への供物 | 中井英夫 |
ミステリー三大奇書という言葉が生まれたのは最近のことです。第四の奇書とされる『匣の中の失楽』への評論の中で、「皆さんご存知、三大奇書」といった風に取り上げられたのが初出だと言われています。
なぜこの三冊が取り上げられたのかについて考えると、『匣の中の失楽』が『虚無への供物』に似ていて、その『虚無への供物』の中で、他二冊の書名が登場するからだと考えられます。作品内に他の作品の書名が登場することは、その作品同士のつながりを示唆していることが多く、実際これら三冊には似たような要素が見受けられます。
つまり、『虚無への供物』っぽいということは、同時に『ドグラ・マグラ』っぽいし『黒死館殺人事件』っぽくもあるということです。これらの類似点から、これらの作品を総称するために、そして従来のミステリー作品とは異なる独特の雰囲気を表現するために、”奇書”という言葉が使用されたのだろうと考えられます。
これら三冊に共通して言えるのは、どれもがアンチミステリーの体をなしていることです。アンチミステリーとは、『虚無への供物』の中井英夫が自著を語る際に使った言葉で、今ではミステリーっぽくないミステリー、あるいはメタフィクション的な仕掛けを持った作品に対して用いられるようになっています。
ようするに、これらは邪道というか、変化球であり、ストレート(本格推理)というフリがあってこそ輝くので、ある程度ミステリー作品に慣れ親しんだ後に手を出すジャンルかなと思います。
随一のインパクトと感動『虚無への供物』
最初に手に取ったのは『虚無への供物』でした。出版年では最も新しい作品ですが、「奇書を読むならこれから」「一番読みやすい」と各所で聞いていたので、これから読み始めました。
正直に言って、最初は退屈でした。作品の狙いは最初の方でわかってしまい、それ以降は終盤まで同じことを繰り返しているだけで、一本調子でドラマ性も低く、そのうえ上下巻に分かれるほど分量があり、ダラダラと長すぎるなぁと。「この暗い雰囲気と、しつこいまでの冗長さが奇書たる所以なのかなぁ」と、ぼんやり考えながら、作業的に読み進めていった感じです。
しかし、その退屈な物語がクライマックスで劇的な変貌を遂げました。これまでの謎や真相に隠された驚愕の事実、そしてミステリー自体を俎上に載せる訴えがけ…。ほんの僅かな解決パートだけで、あれだけ冗長に感じていた前フリだけでなく、ミステリー作品すべてに対して適応可能な壮大な意味付けが行われるとは、まさか思いませんでした。この劇的な展開には強烈に心を揺さぶられましたね。
オールタイムベストによく挙がってくる作品としても知ってましたが、本書を読んでからは、評価されているということ自体に納得すると同時に意義深いものも感じます。これだけ斬新なことをやったのが1964年の作品というのもまたすごい。
アンチミステリーの祖
自分は「なく頃にシリーズ」が好きなのですが、なんとなくお疲れ様会の雰囲気を感じました。テーマ的にも、明らかに本書の影響下にありますね。ずっと好きだったシリーズの、ようやっと根っこの部分を見つけた気分です。そういや銀次と金蔵というキャラクターも出てきてたな。
大したネタバレはなし
前述の通り、作中には『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』が登場し、軽いネタバレも含まれています。ただ、真相の詳細までは触れられていないのと、そもそもの話、二作とも真相を明らかにすることが主軸ではない作品なので問題ない範囲のネタバレだと思います。
普通に小説として面白かった『ドグラ・マグラ』
次に読んだ『ドグラ・マグラ』は、精神病棟が舞台で、狂人が登場し、奇妙な音頭を読まされるなど、三大奇書の異常性をフォーカスされる場合に、もっとも取り上げられることの多い作品かなと思います。しかし、自分としては三大奇書の中では比較的ライトで、普通の小説を読む感覚で楽しんで読めた作品でした。
「頭がおかしくなる」の前文句は言い過ぎでも、主人公の置かれた状況と、訳の分からない文章を読まされる自分の読書体験が一致し、作中の混沌とした状態が現実にも飛び火してくるような感覚がありました。
作中作と文章
本作の特徴のひとつは、多くの作中作が登場する点です。つまり、小説の中で小説を読むという構造です。人によってはこの部分を冗長に感じる人もいるみたいですが、自分はこの作中作も好きでした。それぞれの作品には異なるバックボーンや感性、語り口があり、語彙力や表現も秀逸で、ミステリー的な興味深さと適度な緊張感もあり、読み応えがありました。先の『虚無への供物』では、一本調子で読書中すぐに眠気を感じることが多かったのに対し、本書はバリエーション豊かで、飽きづらく、無限に読める感じがしましたね。
内容について
物語は精神病棟に収容された主人公が、自らの正体を解明する過程を描いています。ヒントだらけといえばだらけでしたね。結末は漠然としていて、その点消化不良に感じられなくもないですが、個人的には大満足でした。ミステリーという文脈で読まずに、幻想小説として読むと楽しめると思います。
振り返ってみると、狂人の描写が印象的でした。精神疾患というと、現実からかけ離れた別次元の「俺は狂ってるんだい!」といったステレオタイプな描かれ方をされがちです。それが本書では、普通の人間の一歩先といった感じの、リアルな人間像が描かれていて、このリアリティがあるからこそ、恐ろしさや狂気の深さが際立っていたように思います。
そして、多くの読者が口を揃えて絶賛する壮大な歴史について語られる部分は、さすがに圧倒的でした。自分の場合、面白いという感情を自覚することもないまま、あっという間に読み切ってしまいました。それだけ夢中になって読めたということでしょう。
ただ、本作のネックはやっぱり長さかなと。自分は電子書籍版で読んだのですが、読了までの残り時間を示す機能が20数時間以上と表示されていたのにはビックリしました。普通の小説の3~4倍の分量があるわけです。それでも、内容は魅力的で、もう一度読み返してもいいかなと思うほどの満足感はありました。
マジの奇書『黒死館殺人事件』
最後に読んだ『黒死館殺人事件』は…本当に読むのが最後で良かったと思います。もし最初に読んでいたら、もう一生、他の二冊を読むことはなかったでしょう。外見的なユニークさは『ドグラ・マグラ』にあるかもしれませんが、実際に頭がおかしくなりそうな体験ができるのは、まさにこの『黒死館殺人事件』でした。奇書と呼ばれるにふさわしい一冊でした。
衒学趣味
本作の特徴は、衒学趣味(ペダントリー)と呼ばれるものにあります。
衒学趣味とは、知識をひけらかすための無駄な装飾を指して揶揄する言葉ですが、本書では、むしろそれしかないといっても過言ではないほど、装飾に満ち溢れています。
例えば、「今の反応は歴史上の◯◯みたいだったよ」といった具合ですね。たったひとつの表現のためだけに知識が用いられるので、ページの大部分が専門書の引用とそのルビで埋め尽くされています。
特に酷いのが法水という探偵で、一人でペラペラ言い立てるのはまあいいとしても、他のキャラクターがそれを諌めないのが厄介で、「その推理は間違っているよ」と指摘することはあっても、「もっとわかりやすく言って」とは言いません。すべてのキャラクターが衒学趣味を許容し、誰も制止する者がいないため、法水の発言はページを捲るごとにますます酷くなっていくばかりです。ページいっぱいがルビで埋め尽くされた法水のセリフだった時にはもう…事件とは関係なく、ただただ恐怖でした。
事件自体も複雑
さらには肝心の事件自体も非常に複雑かつ特殊なことが、難読性を増しています。要素としては、連続殺人、密室、謎めいた暗号、アリバイ検証、探偵推理、驚きの新事実、といったミステリーの人気どころか詰め込まれたかなりポップでスケールの大きい事件なんですよね。
しかし問題は法水探偵ですよ。彼の衒学趣味は推理にも影響を及ぼし、事件をより複雑に、読者を混乱させるような推理を展開するのです。「この怪文は◯◯という言語の暗号であり、それは〇〇という作品では◯◯という意味をしていたね」「この本は」「この角度は」「この足跡は」といった調子で、ありとあらゆる痕跡から知識を引き出して推理に反映させるのです。
その徹底ぶりはもはや、あらゆる痕跡を犯人の仕業と疑って悦に入る探偵小説を戯画化する意図があるのではないかと思うほど、徹底されたものでした。しかし、作者はそのような意図は持っておらず、ただ勢いで描いた以上のことはないようです。まあ、それもまた狂気を感じさせますが…。
楽しんで読む
一応最後まで読みましたが、流し読みというにも過大な、ほぼ眺めているような読書でした。本筋を見失わないようにだけ気を配りましたが、それでも一度目を切ると行方不明になり、奇書って感じの読書体験でしたね。
ミステリー的なトリックや筋の部分では、正直意味不明な作品でしたが、展開としては結構面白かったです。謎の館の紹介~第一の事件~推理~第二の事件~…とテンポよく進んでいき、それでいて意外な展開を見せることが多かったように思います。
この作品を楽しんで読むには、子供の気分で読むといいかもしれませんね。何も知り得ない傍観者として参加するのです。生意気にも探偵気分になってはいけません。なんかゴチャゴチャ言っている人がいるけれど、多少漏れ聞こえる筋の通った情報だけを処理し、後はもう「この館、怖いな~」と雰囲気を楽しむことに専念するのです。そしたらいくらかは気楽に読めるんじゃないかなと。
象徴として
前二冊は奇書という括りがなくても、普通にエンタメとして面白いです。でも黒死館はねぇ…エンタメ的にはその難読性からいっても面白いとは思えず、どちらかというと、現代美術的な、これ自体がひとつの象徴といった感じの作品ではないかと思います。
実際、『虚無への供物』への影響は『ドグラ・マグラ』以上に強く感じられました。カーテンフォールで終わるところや、推理のナンセンスぶり、事件の推移といい、そのままってくらいですね。「うみねこのなく頃に」の碑文もこの作品が起源だと考えられ、確か、被害者数の多さについても触れられていたような記憶があります。
三大奇書を読み終わって~読む順番~
『黒死館殺人事件』だけ最後に読もう。
三作品とも、唯一無二の個性がありました。
『虚無への供物』のメッセージ性は後世にいつまでも語り継がれていきそうなほどのインパクトがあり、三作の中で最も心を掴まれた作品でした。『ドグラ・マグラ』は、ミステリー的解決が不必要なほどに圧倒的な筆力で、文学としては一番好きな作品でした。『黒死館殺人事件』は真っ直ぐにミステリーなのにミステリーとして読めない天然キャラみたいな作品でした。
それぞれがミステリーとはなんぞや?ということを問い直すきっかけを与えてくれ、読んで本当に良かったなと思います。
読む順番については、『黒死館殺人事件』だけを最後に残すことだけ守れば自由です。推理小説が好きなら『虚無への供物』、雰囲気に浸りたいなら『ドグラ・マグラ』を最初に読むのがおすすめです。
ちなみに、『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』は青空文庫版もあり、無料で読むことができます。
コメント