【機動戦士ガンダム水星の魔女】全話観終わっての感想

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ネタバレありです。

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毎週の楽しみ

全話感想記事を書きましたが、毎回最後に「来週も楽しみ」と書いていた記憶があります。途中からスパムっぽいかな?と思ってやめましたが、それくらい毎週楽しみな作品でした。

今でも日曜4時くらいになると心がざわざわし始めます…。そんなワクワク感とか、予想が当たるか外れるかの一喜一憂、そして放送後に感想記事をあげるのに苦労した事なども含め、水星の魔女にどっぷりハマった日々でした。

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ライトな作風

本作は何より観やすかったですね。

やっぱりガンダムってアニメとはいえ戦争モノなので、観ていてしんどくなる展開も多いです。おっさんが泣いたりね。それがまたいいんだけど。

それに対して本作は主人公が美少女で、舞台が学校という学園モノのノリ。これは良くも悪くもで、良い点としてはライトに観られること、悪い点としてはシリアス感がなくおままごと感があること。

自分がシーズン1をリアルタイムで観なかったのはこの設定のせいです。なんか幼稚だなと。しかし、実際に観てみると、学園生活におちゃらけた感じはほぼなく、シリアスな空気感が常にありました。ライトに観れるけど、その方向に逸れすぎることなく、上手にバランス取りされた作品でした。

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決闘について

戦闘で白黒をつける決闘システムはライトさの極みのような設定でしたね。

最初はリアリティもないし、「戦闘を描くための都合のいいシステム」と冷めた目で見ていました。今週のノルマ…みたいな。しかし、事情が複雑になるにつれて、勝った方が正義というのは観ている側にとってもわかりやすく、また揉め事を解決する手段としても後腐れがなく、その後の展開の爽快さと相まって、徐々に魅了されていきました。

子供パートと大人パート

本作最大の特徴は、子供パートと大人パートが明確に分かれていたことでしょう。

従来のガンダムシリーズでは、子供が大人の組織に取り込まれる、というパターンがほとんどでした。硬直した組織と多感な主人公の葛藤や順応を描くことが定番だったわけです。

本作においても、頭の硬い大人と現状打破の子供という構図はありましたが、子供の舞台と大人の舞台が分かれていたのが特徴でした。同じ空間にいないのですから、衝突しようがないのです。

この設定は「大人と子供の衝突」を日常ではなく、テーマとして大きく描きたかったからだと思われます。

水星の魔女が描きたかったこと

本作のテーマは何だったんでしょう?

  • 親からの自律
  • 罪と痛み分け
  • できることをする

親からの自律

本作では、大人と子供で分断された舞台や、ラスボスが母親であるということからも、親という存在が大きく描かれていたように思います。

スレッタは完全に親の言いなりで、倫理観すらバグったマインドコントロールのような状況下。ミオリネは沈黙する父親に対する苛立ちを抑えきれない。グエルは父親の権威に弱い立場でした。

このように、それぞれ異なる形で親に縛られた窮屈さを抱えており、不健全な親子関係をどのように改善していくのかが見どころでした。

罪と復讐

「悪いことをしたら償おうね」という考えが根本にありました。どんな悪事を犯した人物であっても、最終的には報いを受ける展開が多く見られ、勧善懲悪が徹底的に描かれていることが印象的でした。

しかし、プロローグのように償いが行われない悲劇的なケースも存在し、それがどのような結果をもたらすのかというテーマも探求されました。地球と宇宙の対立においては、それは復讐という形で現れ、さらにその復讐に対する報復も続き、無益な争いが延々と続く様子が描かれました。

最終的には、どちらかが復讐を止めなければならないという展開になったのですが、その行為を最初に行ったのが、プロスペラだった…という帰結には驚きました。主人公たちがたどり着いた答えに最初に到達していたのはラスボスだったと…。プロローグは復讐の前日譚のようでしたが、本編は復讐の物語ではなかったのです。この仕掛けは見事でした。

できることをする

終盤に登場した言葉ですが、能力や立場が限られた状況下でも、自分にできることを精一杯しようという思いが込められています。

この言葉は、行動を促すと同時に、悲劇や困難に対する受け止め方も示していると思います。突然の悲劇に直面したり、罪悪感から行動できない状況になっても、前に進むためには行動するしかないと。また、実際に行動することで、周りの人間に勇気や希望を与えることができるというメッセージ性もあるように思いました。

最終回では「もう1度同じような問題が起こっても、その時にまた行動する」みたいなセリフがありましたね。これは一見その場しのぎ的な考えかもしれませんが、ニーチェの永劫回帰的な思想に通じるものとも言えます。運命や困難は繰り返されるものであり、その都度行動することが重要であるという考え方です。

結末についての正直な感想

プロスペラ関係には正直モヤモヤが残りました。

第1話からずーっとこの対決のために匂わせがあったわけで、とうとうメインディッシュが来たと思ったら、スレッタがスンと上に立って諭すような感じになったので、あれあれ?となりました。自分としては、もっとバチバチにやって欲しかったなって。

スレッタは後遺症、プロスペラは車椅子というエピローグもなかなかグロテスクでしたね。子供を利用し続けてきた母親と、それを止めるために多大な後遺症を負うことになった主人公の犠牲のバランスが明らかに見合わないなと。メリーバッドエンドにしても、もう少し描いて欲しかったです。

振り返ってみると、親子関係の問題は一貫していました。親としては子供を嫌ってるわけではなく、子供が親の愛情に気付くという展開。結局、親子はずっと結ばれており、もともと分断されてはいなかったということですね。

一方で「頭の硬い大人、現状打破の子供」という構図も確かにあったため、親への優しすぎる対応が大人への屈服や諦めのようにも見えました。親側の心情変化がほとんど描かれなかったので、子供の訴えが響いたかどうかも分からず消化不良でした。

その他設定など

パーメットがすべての元凶だったわけですが、その発展の仕方が自動操縦(AI)や軍事技術の医療応用で、ストーリーの方でも集中する富による格差や分配など、どのトピックも現代的で興味深かったですね。スレッタとミオリネの同性愛も、時代的に普通すぎて特に突飛な設定という感じもありませんでしたし。新作ガンダムのこういう時代を反映しているところが好きです。

ガンド技術の理念については、正直よくわからなかったですね…。それに惹かれたノートレットとクワイエットゼロの関係性についても詳しく描かれませんでした。

キャラクター振り返り

スレッタ

スレッタ自身の出自や母親との関係性が重要な意味を持っていたため、深い内面描写の回避が意図的に行われていたように思います。そのため主人公でありながらミステリアスな一面を持っていて、興味深くはありましたが、得体のしれない不気味さもありました。

とはいえ、表面的には内気な可愛い女の子であり、愛玩動物を見守るような気持ちで見ることが多かったです。ノルマか!?ってくらい毎週泣いていましたね。わんわん泣いたり、しっとり泣いたりバリエーションも豊富でした。

個人的に1番印象的だった場面は、学園襲撃後に彼女が率先して救援活動を始めた姿ですね。背中を向けて泣いていた少女が、勇気を与える背中となって現れた姿に成長を感じつつ、現実の被災地の光景を思わせるリアルな状況に心を打たれました。

プロスペラ

仮面のキャラがライバル&ラスボスというのは、ガンダムシリーズ伝統ですね。

プロローグからの経緯からいっても、目的は復讐かと思われましたが、実際にはガンド技術の平和的な普及と我が子の生きる世界の拡張が目的でした。復讐や野心という己の欲望によって動く人物が多い中、誰よりも権謀術数に長けていると思われた人物の動機がこんな純粋なもので一貫していたというのは驚きでした。

仕方ないかもですが、スレッタとエリクトを明確に区別する意思が最後まで保たれていたのがやや残念というか、救いがないなぁと。

ミオリネ

一応ヒロイン枠と言える存在ですが、スレッタと対照的で、強烈な自我が持ち味で、常にイキり散らかしている猛獣のような女性でした。鼻っ柱を折られてからは、しおらしく、よりヒロインらしくなったと思いましたが、最終的には再び自分らしさを取り戻し、思い切った行動に出るところに彼女らしさが表れていたなぁと。

花婿のスレッタに対しては、ベタベタすることもなく、むしろ気に入らないことがあるとすぐに突き放したりするなど、良くも悪くも裏表のない性格が、作品内のキャラクターの中でも希少であり、それをヒロインがやっているところに面白みがありました。

ハイライトは株式会社ガンダム社設立のところですねー。

グエル

初登場時から分かりやすい噛ませ犬で、どうせジャイアンみたいに窮地では味方になるんだろ…と軽く見積もってましたが、まさかここまでクローズアップされるとは思いませんでしたね。

噛ませ犬→ボロクソ評価→家出→父親殺す→地球行く→帰還してスレッタに告白→最終決戦では弟と対戦→父親の会社立て直し…

こう振り返ってみると本当波乱万丈ですね。スレッタより丁寧に描かれたキャラクターだった気がします。

結局かっこ悪い男が1番かっこいいんだ。

エラン

想定以上にフォーカスされたキャラでいうと、エランもそうでしょう。本物とその替え玉が2人。自分は本物エラン、旧エラン、新エランと区別していました。

まず旧エラン。シリーズでもお馴染みの主人公と強化人間の交流と悲劇を描いたものでした。確か学園内の生徒で初めてガンダムの名を口にしたのが彼だったと思います。それからずっとスレッタには優しく接していたのは、自身の苦痛を分かち合いたい→自分も優しくされたいという思いがあったからかな…。

結局2人の思いはすれ違い、戦うことになりましたが、その結末は「戦場では通じ合ったのに、裏で殺処分」という残酷なものでした。個人的には衝撃的でしたが、一筋縄でいかない世界観の演出として、これはこれで納得いくものでした。それがなんと最終回でまさかの救済!これには驚きました。因果応報的なものが多い作品ですから、悪いことをしなかった人には救済が与えられるってことでしょうか? 

入れ替わりで入ってきた新エラン。気怠げで自己中心的な一面がありましたが、生きようとする意思は誰よりも強く、冷たい外面と内に秘めた熱い情熱のギャップが魅力的なキャラクターでした。似た境遇のソフィ・ノレアに惹かれる様は、旧エランを思い起こさせると同時に、彼の内面の不安定さも示していました。戦後は2人の足跡をたどりに地球へ行くのですが、これは2人の弔いが主目的だと思われますが、過去という生きがいを喪失した旧エランも望んでいただろう結末だったのかな…と思いました。

そして本物エラン。最悪な性格という評判のキャラクターでしたが、この作品の基準では悪いことは特にしていませんでした。最終回ではおいしいポジションに収まっているところが描かれ、さすがエラン一族の長だなと。

まとめ:全体的に満足

細かいところを詰めると、いくつか不足を感じる部分もありましたが、全体としては非常に良くできた作品だと思います。ほどよくライトで、ほどよくサプライズがあり、飽きにくい工夫が多くあったため、最後まで楽しく視聴できました。

お疲れ様でした。

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